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友人の結婚式の余興の練習に行ってきた。
11時~13時、15時~17時。スタジオを借りてくれて、楽譜も作ってコピーしてくれて、私みたいなものは身一つで出かける。

こういうふうに誰かと何かやるとなると、あらためて「ああ自分って本当に何もできない人間だな」、と思う。歌も踊りも喋りも下手だし、楽器もうまくないし、ピアノもギターも弾けないし。
でも最近の自分はそれに引け目を感じたりはしてなくて、「ただの私なんです、ちょん」ってしてる。案外それで許されてたりしてびっくりしたりもする。

・・・というようなことを先日ツイッターでも書いたわけだけど、やっぱり引け目はあるな。本当に何もできんのよ、だって。私の自信のなさは筋金入りだ。そのことについては、かなり自信がある。


今日は、3か月ほど前に書いた記事を引っ張り出してきてアップします。何もできないからね。ふは。





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断捨離継続中、ともう何度書いたかわからないのだけど、いまだにそれは継続している(そして終わる気配がない)。
新しい場所に手をつけるたびにいまだに信じられないようなものが出土して、持ち主本人をも驚かせてくれる。「出土」という言葉を使っていいぐらいの、考古学的作業。

たとえば、開けたら中身のすべてがゴミだった缶とか。あるいは、「いらないもの」と書いてテープで貼ってある箱とか。中身のすべてがあちこちの神社やお寺でもらってきた山のような『交通安全』『学業成就』のお守りとか。もうこれを各地に還しにいくだけでも大変、巡礼の旅である。

今回はクローゼットの上の方から、中学時代にお習字のおけいこで書いた半紙が大量に出てきた。
うまく書けたやつ数枚ならまだしも、練習用の半紙まで大量に置いているとは。仕方ないので、写真におさめてすべて処分する。

一枚一枚先生が丁寧に指導とコメントを書いてくれている中に、こんなのがあった。

「○○ちゃん(私の名前)は、悩むね。悩んで、悩んで、悩みぬいて書くあなたは、素晴らしいです。・・・」

あらまあ。「三つ子の魂百まで」とはよくいったもので、私ったら十五年前から何も変わってない。
きっと自分はこれからもささいなことに悩み続けて、何がしたかったんだか本末転倒になって、結局また元の場所に戻ってくる、というプロセスを死ぬまで繰り返し続けると思う。
やはりこれは、「発掘」作業である。歴史は繰り返す、そこから脱却できるかどうかは別として。

悩んで遠回りしても歩いたことに変わりはないんだから、すすんだ距離ではなくて、実際に歩いた歩数をカウントしていけばそれでいいや。繰り返し続けるプロセスを、たまには謙虚に受け止めてみようと思う。


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買ったはいいものの、なかなか本を読む時間がない。毎日、帰宅したらもれなく日付が変わっている。帰り道でコンビニに寄ることだけが唯一の娯楽。
今回ようやく休みの日ができて、「よし!」と威勢よく掃除機をかけようとしたのもつかの間、床に積んである本が邪魔に感じたので、そこではじめて「あ、積んでる」ということに気づいたのだった。積読とは本当によくできた言葉だなぁと思う。


日本語のレトリック―文章表現の技法 (岩波ジュニア新書)日本語のレトリック―文章表現の技法 (岩波ジュニア新書)
(2002/12/20)
瀬戸 賢一

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日本語と日本人の心 (岩波現代文庫―文芸)日本語と日本人の心 (岩波現代文庫―文芸)
(2002/03/15)
大江 健三郎、河合 隼雄 他

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古武術の発見―日本人にとって「身体」とは何か (知恵の森文庫)古武術の発見―日本人にとって「身体」とは何か (知恵の森文庫)
(2003/02)
養老 孟司、甲野 善紀 他

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無意識に注文して買ったのだけど、タイトルを見ると『日本語のレトリック』『日本語と日本人の心』『古武術の発見―日本人にとって「身体」とは何か』、全部の本に「日本」という言葉が入っている。届いてから驚いた。
いや、もうちょっと語学を何とかしようと英会話だのスペイン語だの勉強しなおそうと思っていた矢先に、これは一体。「そんなことよりも足場を固めろ」という上の人からのメッセージだろうか。

極めつけに『てにをは辞典』も購入。これはもともと購入を検討していたのだけれど、推薦されている方の記事(こちら)を見てすぐに買った。

こんなこと言われたら買わずにはいられないよね。

「買う」のところはまた、すごいよ。


▼アイスクリームを。アクセサリーを。悪評を。安定性を。家を。怒りを。一笑を。腕時計を。絵本を。帯を。女を。家具を。菓子を。株を。カメラを。缶ビールを。機械を。着替えを。生地を。切符を。共感を。薬を。果物を。靴を。車を。経験を。毛糸を。軽蔑を。経歴を。ケーキを。喧嘩を。権利を。古書を。米を。才能を。・・・


いいよねぇ。まだまだ続くけれどこのぐらいにしておこうか。
あくまでも五十音順なのに、勝手にそこに物語性が見出されるのはなぜ。めまぐるしくって目が離せない。

句読点が打たれるたびにざっくりと切り口が変わり、そのたびに新しい色が現れるような、清冽な印象の展開がある。
たまりませんな。まるで詩、まったくの詩。

結局、調べようと思っていたことの半分も調べられなかった。私という人間は、基本的に本末転倒なのである。三つ子の魂百まで、という。歴史は繰り返すものですね。




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