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カフェテラス

絵具箱の中にある黄色の絵具をチューブからありったけ出して全部塗りたくったって、こうはならないと思うんだ。何本つかったところで到底敵わない。それぐらい、圧倒的な黄色だった。





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とある小説の中に、「要領を考えないのは人間が上等な証拠だ」というようなことが書いてあって妙に安心してしまった。それに、そういう人間は「大物だ」とも。

いや、自分の要領の悪さを正当化したいっていうだけの話。
たとえば、「辞書を見出しを使わずに一から探す」みたいな無骨さを正当化しようとしている自分がいる。

あまりにも要領を重視する人を見て「何だかなぁ」と思うのは、自分も心のどこかでそれを望んでいるからではないのか。望んでいながら手に入らないものを憎んでしまう、自分のうしろ暗さ。

他人に対するネガティブな感情のほとんどは自分のエゴを映し出す鏡でしかない。相手のことをわがままだとか勝手だとか思うとしたら、それはそのとき、ちょうど同じぐらいの程度で、自分がわがままだったり勝手だったりしているだけだ。「本当は私だってこうしたいのに」って。


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さて、前回の続き。今度はアヴィニョンからアルルへ移動する。
文字どおり「アルルの女(たち)」になりに行くぞ。

ホテルからアヴィニョンの駅へ行くまでの間に、翌日乗るべき長距離バス乗り場を確認しておくことにした。
ところがそのバス乗り場も切符売り場も一向に見つからず、それらしいところをうろうろ。まさかここじゃないでしょうね、と思った薄暗い半地下の通路が実は乗り場だったとわかるのは、相当時間を費やした後のことだった。たまたまバックパッカー的な人がするりとそこへ入っていってくれたので。

無事にバス停と乗車時刻を確認し、遅らせたアルル行きの電車に乗る。

アルル駅で降り、市街地まで少し歩く。ややもすると城壁が見えてきた。あまり人出はない。なぜかわからないが、店も閉まっているところが多かった。祭りのあとみたいな雰囲気だったから、本当にたまたまそういう日だったのかもしれない。

広場へ行くと、有名な『夜のカフェテラス』の店がでーんとお出ましになる。その隣の店で豚肉のグリルなどを食べて精をつける。
折しも暑い日で、こぼれそうな黄色がより一層まぶしく光っていた。夜に見たらきっと、暖かい色の光なんだろう。

ゴッホ1

こういう観光客向けのものも飾ってくれている。あんまりわかりやすすぎて、ちょっときまり悪い感じがしないでもない。

アルル1

街並みは古く、非常に美しかった。
こういう黄色い壁にも青い空にも映えることができるように、花も緑もあざやかに咲こうとしているのかもしれない。

アルル2

何でもない路地も歩くだけで楽しいのは、もうその街が好きになっている証拠だ。
たとえば地位も名誉もお金も、特技も健康も知性も、何の良さもない、特徴もない、変哲もない、という人がいたとしても、その人のことが好きだったらそんなことは全然関係ないというのと同じ。ただしこの場合の「関係ない」は、「仕方ない」にも似る。

遺跡が集まっている付近は少し高台にあり、結構アップダウンが激しくて、汗をふきふきのぼった。

アルル3

とはいえこの生きものたちにとっては多少の坂なぞ何ということもない。するっと柵をすり抜けては軽やかに歩いていく。
本当に私たちと同じだけの重力がかかっているのだろうか。とてもそうは思えないのだけど。

アルル4

アルルの街並み。

アルル5

円形闘技場の塔に上ったらこんな小部屋があった。ここから見る景色はまるでタレルの窓のようである。
もしも私が深窓の令嬢だったら、毎日ここから空を眺めて、外の世界に焦がれて暮らしただろう。しかし私は深窓育ちでもなければ令嬢でもない、毎日額に汗して働いて稼いだお金でこうして旅行しているOLなので、このような眩しい日射しには慣れっこである。日々の自転車通勤で腕も日焼けしている。
それでも、こうして切り取る空は格別に美しい。

アルル6

サン=トロフィーム教会とその回廊。半分がロマネスク様式、半分がゴシック様式の回廊である。間に立つと、確かに両者の違いが見て取れる。高さが違ってなんだか空間が歪んでいるような。
どちらもべらぼうに長い間歴史を刻んでいる、それだけでもう異次元。

このあとゴッホの描いた跳ね橋を見に行きたかったのだけれど、タクシーが街中で見つからず苦戦した。
これは、極寒の上海における「タクシー難民」騒動に次いで、自分史上3本の指に入るぐらいのタクシー探し時間の浪費である。
インフォメーションに行き、『ENGLISH』のバッジをつけたお姉さんに「タクシーを探しているのですが」と相談を持ちかけるも、3度断られる。帰りの電車の時間も迫っているため跳ね橋はあきらめて、仕方なくローヌ川沿いを歩いて駅を目指した。

アルル7

ローヌ川はきれい。あなた方はなにも悪くないのよ。私が残念がってるだけで。

駅に着いて、インフォメーションのお姉さんにタクシーを呼んでもらえないかと頼む一方で、電車の切符売り場のお姉さんにアヴィニョン行きの電車の時間を聞く。乗り遅れついでに、えい、跳ね橋まで行ってしまえと決断。
インフォメーションではすぐにタクシーを呼んでくれて、「すぐ来る」と言われてお礼を言った40分後に車が到着した。

「25ユーロで跳ね橋とここを往復してもらえないか」と運転手のお兄さんに頼むも「いや、メーター通りだ」と断られ、やや疲れながら跳ね橋へ。


橋

やっと着けたと思うと感慨も一入。しかしタクシーの運転手の兄ちゃんは、我々が降りて橋を見ている間メーターを止めずにアイドリングしているので、何となく気持ちが急かされる。


ゴッホ2

着いた先にもこういうものが。

私は橋を見てああいいなぁといつまでも眺めていられたけれど、帰国してからこの写真を見た友人は、「コンクリートで固めてあって風情がないね」と評していた。
そのとき指摘されるまでコンクリートなんてちっとも見えていなかった。なるほど、あまりにも見たいという気持ちが強すぎた状態だったから、きっと現実の欠けた部分はこの絵が補ってくれたのだろう。実際に見ておいてもなお脳にだまされてしまうのだから、錯覚ってすごい。

そして、一体いくらかかるのだろうと思っていたタクシーメーターは、駅に戻ってきたときちょうど25ユーロで止まった。もはや予言である。
もしスムーズに走っていたら(あるいは兄ちゃんが我々の下車中にメーターを止めてくれていたら)もう少しで正規の値段より高く支払うところだった。よかった。

本日の夕食は部屋で食べることとして、駅でピザパンだのサラダだのヨーグルトだのを購入。
このあたりで徐々に、食べ物における大きさのものさしが狂い始める。
大抵の海外の食品は日本の物よりも大きいので、1人前~1.5人前を2人で分け合うのがやっとぐらいだけれども、あまりにも当たり前のようにショーケースに並んでいると「あれ、普通サイズかな」と思ってしまうのである。
実際手にとってみるとあまりの大きさに愕然とし、食べきれないということがよく起こる。

今回も、いろいろ買ってしまったものの半分ぐらいで満腹になり途中から罰ゲームのような食事時間であった。こういうものも、海外のいいところである。
そういいながらエスプレッソだけは相変わらず小さいカップで出てくるところも、貴重な感動ポイントである。


さて、ようやく日記も後半戦。翌日はバスに乗って、泉の街、エクス・アン・プロヴァンスへ出かけます。




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