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2014.10.25 お手柔らかに
尾道

久しぶりすぎてブログ記事の書き方が分からなくなっていたことに愕然。
何か便利っぽい機能が増えてるけどその代わり異常にアイコンやら何やら附属品が増えてて、どう使っていいかよく分からん…というオトシヨリ化現象が起こっている。

自分が定年を迎えるころには「定年60歳」なんていうありがたき時代はとうに終わっていて、65歳だか70歳だかまで骨身を削って働くことになるんじゃなかろうか。女性の多くは骨粗鬆症に悩まされることになるらしいから、文字通り骨も身も削って働く感覚を覚えるにちがいない。こうして働いていく間にも流れ出ていく、我が栄養素…
しかし正直いって、そんなおばあちゃんになったらもう、新しいツールは使いこなせませんぜ、たぶん。
どんどん時間を短縮してすっ飛ばすってことが、たやすくでき続けたまま死んで行くことはできないよ、少なくとも私は。

スマートフォンから更新できるメリットが大きくてTwitterやFacebookでお茶を濁していたものの、やっぱりブログは自由に書けていいよな、と気持ちがここへ戻ってきつつある。我が家のネット環境ではパソコンを起動しないと不便なのであまり頻度は高くないと思うけれど、たまに更新していきます。

写真はお正月に行った尾道の千光寺から。別に意味はないです、気分だけ。本当にいい感じに海が見えるところに「海が見える」って書いてあったのは、とても気持ちがよかった。

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前回の記事が2年前の福岡のことで、この2年の間に仕事では人事異動が2回あって、無理やり受けなければならない流れになった昇格試験で図らずも合格した結果期せずして立場が変わってしまって、でも懲りずに(?)姉と旅行に行ったりもして、ものすごく狭い範囲で気持ちだけ浮き沈みして過ごしていた。
外から見たらなーんにも変わってないんだけどね。激動だった(と思っている)のは自分の中だけ。
でも何か、そんなのってどうでもいいことだなと最近思いつつある。

私がいないとどうにもならないことなんてないんだよなーって実感したり。
決して投げやりにじゃなくて、そうかそれでよかったんだよな、という納得感で。
そうだよもともとそうだったんだよ、と相槌を打ちたくなるような当たり前さで、わかってきた。
これは年かもしれん。やっぱりおばあちゃん化しているのか。

そういう一連のストーリーがあって、私はまた勝手に物事を決めて勝手に動き出していきそうな気がする。
特に両親に至っては、いつも事後報告で驚かせてしまってきた。数か月で「学校辞めることにした」とか。いきなりメールで「来月家を出るから保証人になってくれ」とか。
でもいつもどおりちゃんとやり遂げるから大丈夫。彼らが最終的に自分を信じてくれるであろうことを信じている。大体だな、元々あなた方のDNAなんだから観念してもらわないと困るよ、というこれは、めったに甘えることのない私の、唯一の甘え方だ。

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最近将来のことを考えたりする中で自己啓発本なんかを読むようになった。これまでそういうものを読むのは邪道のような気がしていて、何となしに避けていた。自分のつまらないプライドみたいなもの。
読み始めてみたらなるほど役に立つことが色々と書いてあって、気持ちが前向きになったり実用に値したり、一定のメリットはあった。多くのものに、形は違えど似たようなことが書いてある。だからおそらく、一に納得する人は、百に納得すると思う。

「Aしなさい」「Bしなさい」のAやBが全然違うことであっても、「Aしなさい」「Aはするな」と一見真逆のことが書いてあっても、理由や目的が同じだったりする。

だから「これにはうなずけるけど、これはちょっと違うかな」という細かな差異はあっても、大筋のところでは「自己啓発本を必要とする人」には必ず役に立つはずだ。
問題というのは根本のところでつながっているから、あることを具体的に自分に照らし合わせて活用していける人なら、どんなアドバイスも同じ効果をもたらすのだと思う。

でもそればかり読んでいると、何だか同じことを繰り返し言われているようで今度はつまらなくなってきた。
同じことを何度言われても実践できない自分をまざまざと見せつけられているようで、若干落ち込みさえする(じゃあ直せよ、と思うがそう簡単にはいかない。だから売れるのだ)。

それで久しぶりに本棚からお気に入りの小説を引っ張り出してきたらもう止まらなくて、ああこれは大変だぞ、と思った。前よりも入り込み方がどっぷりしてきている。それだけ、離れたい世界があるのかもしれない。

詩とか読んだらもう、しみこんでくるよね。言葉が、「使われたい」と思っているかたちで使われている気がして、じーんときた。
転がりたい方向にボールが転がってるのとか見ると、気持ちがいいじゃない。いや、もちろん重力があるから高い方から低い方へと物が動くことは理解しているつもりなんだけど、水が流れ落ちる様とか炎が燃え上がる様とか、見ると安心する。そうだよな、理に適ってるよな、反してないよなってことの、自分の常識の確認。

だから、ポロロッカみたいに大河が逆流してるのなんか目の当たりにしたら、そりゃあたまげるでしょうよ。とてつもない違和感があるに違いない。自然現象に限らず人がつくり出すものも同じなんじゃないか。

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久々の更新で何書いていいかよくわからなかったので強制終了。
それでも、書いているうちに意図しないことが出てくるところが、やっぱり文章のいいところだよな、うん。

自分の中には、自分が知ってるのに気づいていないことがたくさん埋まっている。日常生活の邪魔になるっていうんで大事に仕舞ってあるんだけど、捨てずに仕舞ったということは、一旦自分の中で「残さなきゃ、大事だから」っていう判断をしたわけで、そういうものはときどき取り出してホコリをはらったり光に当てたりして、丁寧に扱わないといかんと思う。そうしないと自分が自分を大事にしていないような気持ちになってくる。
過去にすがるんじゃなくて、過去を大事にすることが今を大事にすることにつながってるってこと。

そういうものを取り出してきて、それと向き合うために、歌うとか瞑想するとか、人によってそれぞれのやり方があるんだろうけど、自分にとっては「書く」ということがそれにあたるんだと思う。

人それぞれ、どんなことにでも効用はありますので、「Aはするな」とか「Aをしろ」とかは、どうかお手柔らかにお願いします。

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